あまりお世辞にも流行っているとは言い難そうな理容店が村に一軒。
その店の前にタクシーが止まった。
車から降りてきた女性は多めにチップを払うと店の古ぼけたドアに手を掛けた。
いくら田舎とはいえその店とは村の反対側に美容院がある――――のにも関わらず、だ。
ドアを開けば何処か篭ったようなベルの音が鳴り敷居を跨いだ。
中にいたのは田舎の理容店の何処にでもいるような中年の男だった。
いや客を迎える態度が無愛想という点ではどこにもいないかもしれないが。
「まだ店は開いてないぞ」
備品を数えながらの対応に女は肩を竦めた。
「もう正午はとっくに回っているのに?」
「!」
振り向いた店主は苦虫を噛み潰したような様子でますます不機嫌そうになった。
「・・・お前は自分のヘアデザイナーがいるだろう」
「フィルこそお客を選り好みするってわけ」
・と呼ばれた女は名の知られ始めた女優である。
モデル出身ということもありフィルとも知り合いなのだが彼女にはヘアデザイナーを初めとするアドバイザーが山ほどいるはずである。
第一モデルであり女優でもある彼女を売り出す事務所がつけてないわけがない。
「だってフィルが私を一番いい女にしてくれるんだもの」
いつだって彼は自分さえ知らなかった魅力を引き出してくれるのだから。
にこりと笑って粗末としか言いようのない椅子に腰掛け長い脚を魅力的に組んだ。
「やるの?やれないの?」
やらない、ではなくやれないと言われてピクリと片眉を上げた。
はその表情を見て楽しげに笑う。
彼女はフィルの誇りの高さも好きだった。
彼のの仕事に対する自信が失われていないこと、心が折れてしまってないことが嬉しかった。
それが痛みの中に埋もれて普段は隠れていたとしても。
「次はないぞ」
くるくると指先で回された鋏を見て返事もせずうっとりとその姿に見蕩れていたのだった。
「痒い所はないか?」
「んーきもちいい・・・」
フィルの長い指がの髪の間を滑っていく。
まるで魔法に掛けられたようになる。
フィルの指はきっと魔術師の指だと常々思う。
こんなにも幸せにしてくれるのは彼しかいない。
地肌を刺激しながらのマッサージに息を吐いた。
できれば顔のタオルは取って貰いたい。
「ね、タオル取って?」
「どうした?」
現れたフィルの顔の近さにはにこりと笑う。
「鼻でも痒いとか言うんじゃないだろうな?」
少しだけ昔のユーモアを取り戻した彼にううんと返事。
「キスが欲しくなったの」
強請るようにじっと見上げると少しだけ濃くなったブラウンの瞳。
「じゃあまた来るわ」
身だしなみを整えたはいつもは客しか座らない椅子へ腰掛けているフィルへと声を掛けた。
「もう来るな」
少し気だるげな声に背中越しにひらひらと手を振って店を出る。
フィルが毎月初めになると決まって落ち着かなくなることを知っているのは彼の息子と彼女だけ。