俺様は彼女の国を知らない。
忍、という仕事柄土地に縛られる農民より地位故に動けない侍(一部例外を除いて)より他の国を知っていると自負している。
けれど俺は―――俺様は。
彼女の国を知らない。











彼女の国。
それは九州の南端のそのまた海の先にあると言う島でもなく、奥州より北の雪に閉ざされた国でもなく。
南蛮と呼ばれる異国ですらないために。
ちゃんの国はこの時代よりずっとずっと後、未来にあるというのだから。
彼女の国には戦はないらしい。
平和な国だという。
確かに戦・・・戦争はなくなってはないとちゃんは言った。
けれど彼女の国は五十年と少し前に大きな戦いがあり負けてそれからは平和なのだという。
他の国に運良く酷い蹂躙はされなかったらしい。
そしてその敗戦の後、人々は時代を生き抜いて国を一層発展させたのだ、とも。







「だから私達世代は戦争を知らない世代って言われるんです」

そう言ったちゃんはとても綺麗で。
見た目ではなくこの時代にはありえない人を殺したことのない、そういう綺麗な存在だと思った。

「戦争を知らないから戦争をしたがるなんていう人もいるけどそれはほんの一部ですよ」

眉間に眉を寄せて困ったような何処か怒っているような顔をする。

「私は戦争・・・戦を知りません。それは幸運なことで有り難く思います。同時に死ぬまで安易に戦争をしたいとは思いません」

はっきりと告げた言葉は戦いを知らないからこその思いが込められていた。

「戦争とは命の奪い合いです。大義名分が合ってもただの殺し合いに他ならない。だから私は何も確固たるものを持たずには戦えないんです」

その表情と言葉には彼女の信念が込められていた。
誰も傷つけたくない。
そう願う優しい彼女。
綺麗な、綺麗なひと。








「でも、私は大事な人を守るためならこの手を血に塗れても構わないと思うんです」








我侭でしょう。
そう困ったように笑う彼女に手を伸ばしたくてでもできなかった。
だってこの手は汚れているから。
彼女のような綺麗なひとを忍びのこんな手で触れるわけにはいかないから。







「私、佐助さんが好き」

俯いていた俺の手をしっかりと握ってそう言った。
忍びの聴力はしっかりとその言葉を捕えていたけれど思考が上手く回らずに処理が追いつかない。
ちゃんは今、なんて言った?









「佐助さんが好き、です」








ありったけの思いを込めて紡がれていく言葉に揺すられた。
胸の奥で殺していた心が。
忍びとして被せていた仮面まで彼女にかかると簡単に落ちてしまう。

「俺様は忍びだから・・・この手はもう汚れすぎてる」

本音なんて零すのは忍び失格だとわかっていたけれどそれでも言わなければならない言葉を紡ぐ。

「忍びなんて此処、武田では人として扱われてるけど普通は人としても扱われない」

道具のように使い捨て。
暗殺もする忍びを厭う者も少なくはない。
そんな事を知らないんだろう俺の手を握る彼女の手は白く滑やかでお姫様よりもきっと美しい。

「俺様は・・・ちゃんをお姫様のように不自由なく暮らさせることも出来ない」

「え・・・」

小さい声に情けないことだと思いながらも最後まで続けた。

「それでも・・・俺様でいいの?」

きっとすぐにその手はガサガサになっちゃうよ。
そう言えばびっくりしたような顔から俺の大好きな花が咲くような笑顔になった。

「私、お姫様より佐助さんのお嫁さんになりたいです」

いつかお願いしますね、なんて可愛いことを言うちゃんがいとおしくてその細い身体をぎゅっと抱きしめた。
この手が血に塗れても主と愛しいひとを守る為だから後悔はしない。
彼女の生まれて育った国を知らなくても隣で生きてくれるという彼女が居たらそれでいい。















最果ての国に彼女を帰すことなんてもう出来ないと武田の忍びはようやく己の恋心を認めたのだった。
















2008/03/31