緩やかに流れる音楽にそっと差し伸べた手
泡みたいに消えてもいいからと願い祈った
ノクターン横丁の片隅にその店はあった。
客はぽつぽつとまばらにしか来ない其処は闇の世界に関わるノクターン横丁であっても異端であった。
それはこの店が報われない恋をしている者達が来る店。
相手の心を惑わす薬や服従させる呪文の本が並ぶ店。
ピンク色やハートのマークとは無縁な場所。
本来ならば表通りで少女達が買い求めるモノ達とは比べ物にならない力を秘めた闇の店。
店先には埃をうすく被った古書が並んでいる。
店の中には薬品と埃とが混じった匂いがした。
「これは本当に効きますか?」
店の主である老婆は頷いた。
古ぼけたローブに隠されて顔は鼻から下しか見えない。
どんな表情でこの小瓶を差し出したかもわからない。
劇薬を扱っているせいだろう荒れて奇妙に節くれた指先からそっと小瓶を受け取った。
「それはあんたの望みを叶える事ができる」
しわがれた声に息を呑む。
老婆は口元に笑いを作った。
「ただしその後は代償を払ってもらう事になるだろうよ」
少女はこくりと頷くとローブの奥にしまった。
「あんたの代償は脚だよ」
その言葉を背に受けながらそれでもいいと店を出た。
小瓶を懐に抱いて。
説明書にこれを飲むと美しくなり優雅に踊る事ができるという言葉を見て口につけ一気に飲み干した。
「・・・・・まずっ!」
変な味がしたが中身に何が入っているか知りたくなくてひらりと机の上に落とす。
彼女がドレスローブを翻して向かった先は大広間だった。
周りを見渡すとパートナーがいないのはだけだった。
別に彼以外のパートナーなんていらなかったから一人で浮くのも気にならなかった。
大広間に出ると辺りを見渡した。
一人面倒そうにいる彼の姿が視界に入った。
彼らしいと思いつつ足を運んだ。
「ミスター・スネイプ?私と一曲踊ってくださいませんか?」
にこりと浮べた笑顔はいつも以上に美しかった。
「ミス・。我輩などと踊る暇があれば他の生徒と踊ればよかろう」
その言葉の先にはパートナーを無視してに見惚れている男子生徒を指していた。
長い髪を結い上げて白いうなじがスネイプの目を奪う。
幼いとはいえ間違いなく女のもつ艶を滲ませる少女にたった一晩でこうも変わるかと賛美の色を瞳に浮べた。
「私は先生と踊るために来たんです。踊れなかったら帰って寝ます」
はすっと手をスネイプに向けて差し伸べた。
「踊るつもりはなかったのだがな」
ふうと溜息をついての手をとった。
「ここでは人目につく。来い」
連れて行かれた先は人気のないバルコニー。
大広間の熱気が空気にのって感じられるけれどたった二人しかいない中では余所の世界のことのようだった。
「Shall we dance?」
「Yes」
ぐいと強引に身体を引き寄せられたは心臓が飛び出しそうだった。
腰に廻されたスネイプの腕。
広い胸にそっと頬で触れてゆっくりと視線を上げた。
スネイプの黒い瞳の中は自分の姿を見出した。
流れてくる音楽にゆっくりとステップを踏むにスネイプは意外だという念を隠さず言った。
「お前がこれほどダンスが上手いとは思わなかった」
嬉しそうに笑うの姿に心が惹かれるのを感じた。
先日ならばありえない事だが今は腕の中で蝶となった少女に心を奪われはじめている。
「先生と踊りたかったんです」
緩やかな音楽と共に二人は暫く踊り続けていた。
「ありがとうございました」
ぺこりと礼をした後まだダンスパーティーは続いているが寮へと帰ろうとしたにスネイプは声をかけた。
「待て。送っていく」
驚いた表情の彼女に驚くのも最もだと内心苦笑しながらも別れがたいと思ったのも確かな事。
「お前のパートナーは我輩らしいからな」
その言葉にふわりと笑ったの表情が一歩脚を踏み出したとき崩れた。
「痛っ!」
「どうした!」
脚を抑えてしゃがみこんだにスネイプは慌てて近寄った。
「・・・・薬の代価の支払いが始まったみたいですね」
「代価だと!?」
断続的に来ているのか痛みに耐えながらは笑った。
「先生と上手くダンスが踊りたかったんです」
ノクターン横丁で買ったんですよと凄く効くんですねと笑えるに感情が溢れ出す。
「馬鹿者が!」
怒鳴りつけると脚が本格的に動かなくなったのかがくりと崩れる身体を抱き上げた。
「・・・先生にお姫様抱きしてもらえるなんて幸運ですね」
やっぱり飲んだ価値はあったかもというこの馬鹿な娘に黙れと一括してグリフィンドールの寮へと向かった。
「合言葉は?」
グリフィンドールの寮など殆ど足を踏み入れた事などない。
しかもこんな女生徒を抱きかかえてという状況はありえないと思いつつに問う。
「え・・ラッキーデイ」
その言葉に眉を顰める。
幸運な日というより不幸な日で十分だ。
開いた扉を潜り背に「スネイプ教授?お持ち帰りで寮で逢引なさるなんてっ!!私は誰にも言いませんわあ!!」
そう叫ぶ太った貴婦人のおしゃべり好きをも思い出し足早に階段を上る。
「説明書は?」
「部屋にあります。その扉・・」
失礼なども言わずに扉を足で蹴破る。
あっけないほどの脆さで扉は壊れた。
「座ってろ」
どさりとベッドに下ろされて壊された扉とか机の上の壜とかを見ているスネイプ先生を見てどうしてこんなことになったのだろと思う。
本当なら私は今頃ベッドで一生分の幸せを噛み締めながら明日から一生背負う罪の代償を喜んで払う決意をしていたはずなのに。
「説明書がないぞ!!」
苛立たしそうな声に記憶を再生する。
「薬の中身を知りたくなくて・・・落としたような・・」
ざっと音が立つくらいな勢いでスネイプ先生は床へしゃがみこんだ。
「・・・・あった」
ベッドの下に落とされていた紙を拾い内容に目を通す。
私はこう言われるのを待っていた。
「残念だが。脚はもう使えない」
「残念だが―――――――――― 」
その言葉は予想していたモノとはかけ離れていた。
「残念だが我輩と付き合ってもらうぞ」
「え・・・・!」
付き合うって何処にとベタな返事をする前にスネイプが口を開いた。
「この薬は人魚の雫というものだ。効果はお前が知ってる通り魅力的に踊ることができる代わりに脚の機能を奪う」
やはり脚は動かないらしい。
でも代償がそれだけですむのなら安いものだと思えた。
「しかし一生歩けないことにはならない」
その言葉に信じられなくてはスネイプの顔を見た。
「この薬での副作用は一ヶ月程度のモノだ。それも望んだ相手と上手く行けば別に副作用など発現しない」
「嘘・・・」
「嘘など言っても仕方がないだろう」
呆れたように言うスネイプには尋ねた。
「どうすればいいんですか?」
「望んだ相手と・・・つまりお前の場合は我輩とか、キスを一日一回すればいい」
「・・・・・・・・・・・」
「そうすれば一ヶ月の間も副作用はでないからきちんと歩けるぞ」
全く説明書はよく読んでから服用しろという声にぽつりと返した。
「いいです・・」
「何がだ?」
「副作用が出たっていいんですっ!」
いきなり怒鳴ったにスネイプは怪訝そうな表情を向けた。
「私が悪いんです。先生と踊れれば脚なんていらないと思った。だから飲んだんです」
ほろりと大粒の涙が静かに頬を伝った。
「だから先生が気を使って副作用の心配までしないで下さいっ!」
踊れれば諦めきれると思ったのだ。
この甘くて切ない思いから。
脚の代償だってそのためのもの。
先生と踊ったのを忘れないための足枷。
なのにどうしてこの人はこんなに優しい事を言うのだろう。
「我輩がの心配をしてはいけないのかね」
暫くしてから静かな部屋に言葉が落ちた。
「そこまで思われていたと知って自惚れた我輩が馬鹿だということかね」
少しだけ・・ほんの少しだけ声に隠された傷ついたような響きに伏せていた瞼をそっと開く。
「我輩は好きでもない人間と踊りはしないしこんな副作用の心配までしない」
そっとおそるおそる延ばされた手がの頬に残る涙の後を消した。
「我輩とキスするのは嫌かね?」
嫌じゃなかった。
ずっとずっと望んでた。
でも
義務感からのキスなんて死んでも嫌だった。
「義務感からのキスは嫌です」
唇から漏れた言葉にスネイプはフンと笑った。
「これが義務感からのキスかどうか考えるんだな」
寄せられる顔。
近づく距離。
睫毛の長さまで見える距離でそっと瞼を閉じた。
一ヵ月後。
「――――――っ。一ヶ月終了〜!!」
唇を離した後に恋人から出た言葉がロマンティックの欠片もない事にスネイプは不機嫌になった。
「もう少し常識や情緒やらを勉強しろ」
「だってこれで脚の副作用でないんですよ?やっぱりあの薬ってノクターン横丁でなくても売ればいいのに〜」
調子に乗って空になった壜を弄ぶに呆れたような声で返す。
「相手が服用者に惚れなければ副作用が出る薬をか?無理だろうな」
嬉しそうに笑う少女を抱き寄せた。
「これってやっぱり愛の力ですよね?」
頬に唇を寄せてくるの顎を指で抓んで唇を落とす。
「愛の力かは知らんがお前が海の泡にはなりそうにないな」
「人魚姫もあんな王子様じゃなくって不機嫌で意地悪な魔法使いに恋すればよかったのにね」
肩にもたれかかって言う少女に苦笑する。
「これからはノクターン横丁には入らないことだな」
そう結ぶとスネイプはぶ厚い本を読み始めた。
は隣で冬に向けて編み物の練習を始めている。
地下室の恋人達のことはハロウィーンの翌日には太った貴婦人によってホグワーツ中で知れ渡っていた上に
スネイプは副作用が出ないための必要があるのとハロウィンの時に恋心を抱いたもの達への牽制もかねて
朝一番に恋人へのキスを一ヶ月間していたのだから知らないものの方がいない状況で。
ますます地下室へくる者が少なくなったスネイプの部屋では今日も二人がゆっくりと過ごしているのである。
ホグワーツ中が一ヶ月のカウントダウンをしていたのはいうまでもないことだろう。