「ふふ、可愛いな。子猫ちゃんめ」
腰にくる重低音ボイスの持ち主は女の子が聞いたらくらくらとしそうな罪なことをさらりと言った。
その顔はさらり、とはさっぱりぽんと遠かったのだけど。
彼の一番上の机の引き出しには秘密がある。
青少年のお友達エロ本があるわけでもアニシナによって持ち込まれた怪しい薬類の類でもなく。
そっと隙間からグウェンダルの視線の先はチョコレイトという菓子が可愛らしい子猫ちゃんの形をして食べられるということなくあったのだった。
それは思い起せば一ヶ月前のことだ。
「グウェンダル!私の実験と魔族の繁栄のためにもにたあしなさい!」
いつものように、というあまり、いや全く有難くない日常の時間を赤い悪魔、毒女アニシナによって彩られていた。
思い出した瞬間、眉間の皺が一本増えたのは本人が気づくことはなかったが。
あの時もなんぞ怪しい実験をされるのかと諦めてチョコレイトを口にしたのだ。
唯一の希望はそれを作ったのがアニシナではないということだけだったのだが。
「まあ、アンフリンだけでは心元なかったので私も手を加えさせて貰いました」
そのアニシナの一言によりグウェンダルの希望はあっさり費えたのだった。
最初の症状は舌が痺れただけだった。
アニシナの実験の結果としてはまだマシかと謁見も接見もなかったことに気がつき安堵した。
ついでに石鹼のなかった風呂場には可愛らしい子豚ちゃんの石鹼をそっと置いておいた。
仕事に支障はないはずだ。
そう思っていたのだが・・・とんでもない支障があったのだ。
「ねえ、グウェン?あの日のこと覚えてる?」
頬を染めた愛しい少女に上目遣いに問われて覚えてないなどと言えるわけがない。
いや、覚えているのもあるのだが。
頬にキスを受けたことは。
しかしその前後があやふやで。
何かあったとしたらその辺りか。
グウェンダルは仕方なく一番聞きやすそうな相手を探すためにそっと引き出しを戻した後に部屋から出たのだった。
「あれーグウェンじゃん!」
「兄上!?どうかされたのですか」
仲睦まじい新魔王と弟の様子にふっと口元が緩みそうになるのを堪える。
しかし私が執務室を出るのがそんなに可笑しいのだろうか?
「いや・・・その、お前たちに聞きたいことがあるのだが」
「僕でお役に立てるなら!」
「俺にわかることならいーよ」
グウェンダルの言葉に瞳を輝かせる末弟とへらりと笑うユーリの姿。
「ああ、お前たちにしか頼めない」
ゴクリと息を呑んだのは三者のうち誰だったのだろうか。
「そっそっそっそっ・・・・・それはー!!!」
眞魔国では至高の宝石とこっそり呼ばれているらしい黒い瞳がきょろきょろと彷徨っている。
弟を見ればやや引きつった表情。
「どうした?アニシナの実験の後の私の様子を聞いただけだろう?」
「そっそっそっそっ・・・・・・」
「そんなこと僕たちの口からは言えません!行くぞ、ユーリ!?」
「待て、ヴォルフラム、ユーリ!?」
走り去る二人の姿に呆然とする。
そんなに言えないようなことなのか!?
くらくらと眩暈さえしながらもグウェンダルは次の相手へと足を運んだ。
「・・・なんですと!?」
「だからあの日のことを包み隠さず教えて欲しいと言ったのだ、フォンクライスト卿」
ギュギュギュのギュンターはカッと目を開いた。
日本人形の名残りがまだ残っているようだ。
「あ・・あああああんなっ・・・あんな破廉恥なことっ!!私の口からはとてもっ」
「破廉恥だと!?」
いったいどんな!?
グウェンダルの頭の中は彼なりの破廉恥想像が取り巻いている。
お見せできないのが残念です。
「ええ、貴方は破廉恥な台詞で辱め撫で回し、挙句の果てには・・・・ああっ・・私には言えませんっ!」
「なっ・・・なんということだ・・・・」
それだけ言えば十分だという突っ込みはその場で入れられることはなく美しい汁を垂れ流しながら走り去るギュンターと
がっくりと燃え尽きたようなグウェンダルの姿を見つけてしまった不運な兵士は何があったのかと気になってその日叱責を受けることになってしまったのだった。
衝撃から二時間。
なんとか立ち上がることができたグウェンダルはやっと決心した。
「撫で回し辱め挙句にはそれを上回ることをしてしまった私をそれでもは・・・・」
許してくれたのだろう、多分。
いつも彼女には情けない姿を晒している気がする。
男としてそれではいけないと思いグウェンダルは一大決心をしたのだ。
「見ていてくれ、子猫ちゃん」
願わくばこのチョコレイトとやらに込められた想いが同じものであるように。
願わずにはいられない。
「グウェンダル?用事ってなあに?」
この愛しい人に知らずにいたとはいえ一ヶ月も待たせてしまったのかと思えば情けなさが募る。
「、話がある」
ぎゅっと瞳に力を込めて囁けばぴくりと華奢な肩が跳ねた。
「愛している。私と結婚してできればヴォルテール夫人となって欲しい」
すっと細い腕を取り左手の薬指に嵌める指輪。
「これは私の祖先が妻へと贈ったという指輪だ。上王陛下・・・いや、母上から私の妻へと渡すようにと・・・?」
「・・・・不意打ちすぎない?・・・」
俯いた彼女のぽつりと呟いた言葉に言った。
「いや、初めて見た時からずっと好きだった。その先月のことは悪かったと思う。・・・思うが私がそのしたことを許してくれるか?」
「え?」
「だから・・その・・・撫で回したり、破廉恥な言葉で辱めたとか・・・私には調度そのときの記憶がないようなのだが・・・」
真っ赤になりつつ謝っていればふふっと笑い声が聞こえた。
「やだ、グウェンダル!それはきっと私にじゃないと思うわよ」
「別の女にしたというのか!?」
ありえない!?とばかりに叫んだグウェンダルにはにっこりと微笑んだ。
「大丈夫。貴方は可愛いコボタルイカちゃんと小栗鼠ちゃんとポメラニアンちゃん達と戯れただけよ」
「そ、そうなのか」
「そうなの」
にっこりと笑う姿にちょっとだけ残念に思うグウェンダルだったのだが。
「約束覚えてくれてたんだーって思ったのになあ」
「・・・すまない」
くるくると少し大きい指輪を弄びながらはグウェンダルに言った。
「あの日私が貴方にしたことは覚えてくれてる?」
「ああ、忘れるわけがない」
ぽろりと零れた本音は彼女の頬を淡く染めた。
「あの時にね言ったのよ。もう一度言ってあげるわ。ホワイトデーには三倍に返してね、グウェン」
「・・・三倍」
それはチョコレイトを三倍という意味かと思っていたらすっと伸ばされた腕。
触れられた口唇。
「そう、プロポーズは三倍以上だったけど」
「わかった。約束は守る」
そっと約束じゃなくとも大歓迎だと囁いてゆっくりと口唇へと口付けた。
結局即結婚はなくなったのだが。
「のその指輪って綺麗だよなー。まるでグウェンの瞳の色じゃん!?」
「婚約指輪ですからね」
「本当ですか、兄上!おめでとうございます」
試練をなんとか乗り越えたグウェンダルには一足早い春が来たようである。
「しかし、なんでのキスで戻ったのだろうな?」
幻覚を見ていたらしいという話に疑問を呟いた。
ちなみに大げさに事実を言ってくれたフォンクライスト卿には礼として仕事をたっぷり回させて貰っている。
「さあ、でも呪いは愛する人のキスで解けるものだからじゃない?」
の言葉にそうかもなと頷いてアニシナに初めて心の中で礼を言ったのだった。