この世界に来れたこと

大事な人たちに出会えたこと

手に入れることのできた全てのもの

もしそれらに名付けるならばきっと運命と呼ぶのだろう

そして私は運命に感謝する

きっとそれが自分に出来る唯一のことだから

















慌てて出て行ってしまった絳攸を追って屋敷を出たが姿はない。

「・・・約束の時間に間に合うのかなあ」

迷子になる彼が無事に府庫まで辿り着けるかも心配だったのだが。

とにかく折角作ったお饅頭だからと包みに包んで男装するとさっき通った道をもう一度届けるために宮城まで歩いたのだった。

「府庫は・・・って夜の宮城ってなんか不気味かも」

ぺたぺたと歩いて行けば夜のせいか誰にも逢わずにに府庫へと辿り着いた。

「邵可様〜って帰っちゃったかな?」

友人の父上の名を呼んでみるが返事はない。

だが別の声が返ってきた。

「おや、殿。夜更けにどうしたのかな」

「藍将軍!よかった絳攸も」

背中に掛けられた声に振り返れば先ほど飛び出した絳攸もいてほっとする。

「折角作ったのに忘れるんだもの。持ってきてあげたの」

「あ・・・ああ」

ごそごそとしている絳攸に楸瑛は府庫の鍵を取り出し開けて中に入った。

「・・・なんだいこれ」

風呂敷包みの中から転がり出たものに対する楸瑛の言葉には説明すべきか迷った。

「見てわからんのか饅頭だ」

「へえ、饅頭だったのか。やけに独創的な形だな。どこかヘボ菓子屋で買ってきたんだ?ここまでくるといっそ小気味いいな」

あまり明るいといえない部屋の中なのにぴしりと絳攸のこめかみに青筋が浮いたのがにも見えた。

どいつもこいつも、と口唇が動いたのまで見て取れた。

「あのー・・・なんで二人は府庫にお饅頭持参で来てるんですか?」

大笑いの楸瑛とどんどん機嫌の悪くなる絳攸には肝心の疑問を聞いた。

こんな時うっかり夜の逢引きですかなんて言ったら機嫌は急行直下確実だからなあと思いながら。

「これは幽霊用だ」

なんでも府庫に幽霊が出るらしい。

邵可様を案じて一計を図るという絳攸に楸瑛は納得したようだ。

「じゃあ、私は帰るね」

「おい、一人で大丈夫か?」

絳攸の声に平気と返事して戸部へと向かう。

今の時間なら鳳珠様もいるだろうし明日の仕事も忙しいからと廊下を歩く。

少しだけ幽霊にあってそんなにお饅頭がすきなのかと聞いてみたかった気もしたが折角宮城で働ける期間なのだ、無駄にはできない。

視界の端を白いものが通ってはちらりと見たのだがただの男の人だったので足早にその場を立ち去ったのだった。

























その日も絳攸と藍将軍は幽霊を捕まえるために奔走するようだった。

「よっぽど主上付きって暇なんですね」

昨日作った饅頭とお茶を用意したは嬉々として秀麗の話をせがむ上司に苦笑した。

「アレか?まあ兄上の周りをチョロチョロするのは許せんが兄上のために働こうという姿勢は評価してやろう」

「ふふっ、でも絳攸の一番目は黎深様ですよ」

わかっているんでしょう?と言えば私が拾ったんだから当たり前だと返された。

の一番は今も鳳珠か」

「はい、尊敬すべき人ですから」

「私の事はどうだ?」

突然の言葉にやや驚いただったが本心を包み隠さず答えを口にした。

「大好きですよ、黎深様も」

にこりと笑った表情に嘘はなく。

黎深はその返答に緩んだ口元を扇で隠した。

そして秀麗のお饅頭にもひけを取らない見事な饅頭を手にして黎深は暫くうっとりと見つめた後にとても美味しそうに食べたのだった。























それから五日。

どうやら幽霊には逢えずにいるようである。

二進も三進も行かず徹夜続きの二人を気遣って差し入れをするのがの日課になりつつあった。

「こんにちは、邵可様。絳攸と藍将軍はいらっしゃいますか?」

ぴょこんと顔を覗かせると柔らかい笑顔でいますよと返事をくれる。

「幽霊退治そろそろ止めたほうがよくない?」

これと決めたら頑固な絳攸に茶を入れながら尋ねる。

「藍将軍も大変でしょう?」

「私は鍛えてるからね」

心配して貰えて光栄だなと言われて苦笑する。

女官に人気なのも頷ける対応だ。

「今日会えなかったら諦めてくださいね、絳攸殿」

「・・・はい」

結局渋る絳攸に邵可様の説得のお陰でなんとか約束はされたのだった。

夜。

いつもなら帰宅しているのだが最後だしとは府庫へと足を運んだ。

落雷と叩きつけような雨。

恐くないといえば嘘になるが幼い頃よりは断然マシである。

鳳珠様のお陰ね。

感謝してもしたりることはない美しい人を思いつつ歩を進める。

ふと府庫に近づいた時白いものが見えた。

雷光を背に立っていたのは素晴らしく美しい女人だった。

「・・・まさか・・・」

濡れた黒髪も鮮やかな紅唇も生気に溢れた瞳も。

知らないものではなかった。

「・・・あの時の・・・綺麗なお姉さん・・・」

「そなたは黄か。鳳珠殿は元気かえ?」

呼ばれた名にはいと答えた。

自分の名前を呼ばれたことも鳳珠様のことを知っていたことも女人禁制の場所に女官でもない彼女がいたことも不思議でもなんともない。

彼女は―――なのだから。

頭の中ではわかっているのに答えは出て来ずにただ礼が零れ落ちた。

「あの時助けてくださってありがとうございました」

「ふふ、こんな場所にいても驚かないとは流石じゃな」

ゆっくりと近づく麗しい人に見蕩れる。

「秀麗と仲良くしてくれて感謝するぞ。できれば静蘭のことも背の君のことも頼みたいくらいじゃ」

そう言われて思い出す。

美しかった二胡の音。

秀麗の二胡を聞きながらいつも誰かを思い出していたのはこの人だったのか。

「秀麗のお母上なのですね。そして邵可様の奥様・・・」

「聡い子じゃ。大きくなったのう」

ぎゅっと抱きしめられて彼女自身が秀麗には逢えないのではないか、逢うことは禁じられているのではないかと思った。

何でだかわからなかったけれど。

「秀麗はとってもお饅頭作るの上手くなって、今は寺子屋で子供たちに勉強を教えてます。二胡が奥様みたいにとっても綺麗で・・・」

「そうか。嬉しいことじゃの」

潤む瞳に母親を感じる。

自分の母親もこうだったらいいと願わずにいられない。

「あ、あのっ・・・貴女のお陰で鳳珠様に拾っていただくことが、出会うことができました」

本当にありがとうございます。と涙で滲む声しかでない。

「ふふっ、そなたの事は皆が気に入ってるようじゃな。あの霄までとは・・・一つ頼んでも良いかの」

憂う瞳にはい、と返事をした。

私ができることはとても少なく、まして目の前の美しい女性にできることは本当に僅かなことしかなかったから。
























「邵可様、昔拾った子供を覚えておられますか?」

朝、府庫へ行けば死んだように眠る絳攸と藍将軍の姿があった。

邵可は少し驚いてそれから笑った。

「ええ覚えてますよ。秀麗より少し大きくて優しい顔の可愛らしい子を」

「あの時、邵可様と奥様に拾って頂いたお陰で鳳珠様に会うことが出来ました」

ありがとうございます、と礼を言う。

邵可は感慨深そうに笑った。

「縁とは面白いものですね、あの時の子がこんな立派になって」

伸ばされた掌にゆっくり撫でて貰ってあの時を思い出す。

綺麗な奥様の二胡の音と可愛らしい笑顔の女の子と一緒に居た綺麗な男の子と優しい大きな掌の持ち主。

「約束は守りますから」

邵可が訳がわからず首を傾げていたけれど説明の必要もないことだった。

約束は彼の美しい人と交わしたもの。

それは自分だけが知ればいい事だと思い返す。

「邵可様、お茶をお持ちいたしましょう」

今夜お宅に伺っても良いですかというの願いはあっさりと叶えられることになる。