願いは叶う機会さえもまだ与えられてないけれど。
心の強さを。
譲れない願いを持ち続ける強さを。
機会を待てる折れない心を、持ちたいと心から思った。
今年は猛暑で野菜も高いなあとは市の野菜を見遣りながら歩いていた。
義父である鳳珠様の仕事の忙しさは最近では今まで以上に殺人的な様子に少々所でなく心配をしていた。
夏バテをしない胃と眼精疲労に効く料理とか肩こりと腰痛に効く料理とか色々凝ってみているが限度がある。
「明日から特製のお茶も持っていって頂こうかなあ」
仕事中お茶を飲んで貰えるか心配だけれどとどうやってお茶を飲んで貰おうかと頭を悩ませながら歩く。
景侍郎に頼んでも仕事を優先する鳳珠様なら口唇を湿らす程度で終わりそうかもと心配になる。
少しは私もお役に立ちたいのだけど。
侍僮の姿でまた働ければいいのになあと思っている間に先日の賃仕事先に着いていた。
「こんにちはー!!ご主人いらっしゃいますか?」
暖簾をくぐった瞬間むわんと漂う匂いにびっくりしたは一人の男と対峙していた。
「おう、お嬢ちゃんお遣いか?」
「いえ、ご主人に用事があって・・・」
来たんですと続けようとしてひくりと鼻が何かを察知した。
「あの、もしかしてこの匂いは幻の名酒の灘環礁。こっちは・・・まさか海千鳥!?」
が思わず叫んでしまったのは仕方ないことだろう。
一杯で一家が半月は暮らせる銘酒だ。
その酒の匂いをぷんぷんと漂わせている目の前の男はどう考えても素人ではない。
今も酒気は帯びているのに瞳に理性はしっかりとあってよほどお酒に強いのだろうと推測した。
「よくわかったなー。他はわかるのか?」
男はにかっと破顔して言った。
どうやら"当たり"だったらしく面白がらせてしまったようだ。
「多分ですけど千手と四音と緑邦泉と・・・鵬泉宴?」
「すげーな。もしかして酒屋の娘・・・じゃねーな、その格好は」
ちろんと見られてはあとしか返せない。
一応地味目の服を着ていたのだが黎深様から頂いた簪を着けていたために酒屋の娘とは思わなかったらしい。
やっぱり高かったのかと細かい細工の簪を素直に受け取っていたことに後悔するが贈り物を受け取らないのも失礼だしと頭を振ればしゃらと簪が音を立てる。
その音で我に返っては図々しいんですけど、と切り出した。
「あのー・・・よかったら分けて頂けないですか?お酒・・・」
「あー、もう飲んじまったしなあ。大体お嬢ちゃんが飲むんじゃないんだろ?」
強そうな髭の生えた顎を撫でながら言われてはいと頷いた。
「義父の仕事が忙しい上に最近は暑くて寝辛いですから後味が良くて少し飲んだだけであっさり寝れそうなモノがあればいいんです」
「父ちゃんのためか。いい話だが俺は酒に関しちゃ人には譲れないんでね」
そうですかと項垂れる。
仕方ない。
お酒の好きな人ならそういうのも有りなんだろうと頷いた。
第一に今日の目的は別にある。
「あ、ちゃんいらっしゃい。茅炎白酒入ってるよ」
「ありがとうございます」
「おい、茅炎白酒だと!!」
声を荒げた男にはそうですよと主人から杯を借りて注いでみた。
「間違いねえが・・・これを飲ませたら仕事になんねーぞ」
「わかってます。これは料理用です」
夏場だと食べ物の傷むのが早いのでと言いつつは酒屋の神棚に杯を置いた。
「何してんだ?」
背中に不思議そうな声が掛かる。
「此処の神様はよく利くらしいので願い事を。叶えたいものがあるんです」
何を、などと口には出さなかった。
それはまだ夢だから。
「そんなの神さんより自分で叶えるもんだろーが」
供えた杯を取ってぐいっと飲み干した男にむっとした。
まだ、叶える機会はないから。
願うだけしか、できないから。
「叶えられる機会がまだないんですよ」
女人の参加は認められてないのだから。
「そんな甘っちょろい事言ってたら叶わないと思うがね。ほれ、これ飲んで大丈夫なら叶えることが出来るぜ」
勝手に一回り大きい杯に注がれた茅炎白酒を差し出された。
「自分がやろうと気合入れて思ったもんは譲れないものの筈だ。こんな酒くれーでぶっ倒れるならさっさと諦めたほうがいいぜ」
意地悪なのかそれとも慰められているのかわからなかったけれど隣でご主人が止めといたほうがいいよと言っているのが聞こえて決意した。
夢を諦めるなんて事は、出来ないとわかっていたから。
「頂きます」
ぐいっと飲んだ時に煽った杯の向こうでびっくりした表情の男が居ることが妙に気分がよかった。
「いや・・・本当に飲むとは思わなかったぜ」
「本気だとわかって貰えましたか」
二杯目もあっさりと杯を空にした時に我に返った男は言った。
じとっと見返したら苦笑されてしまった。
「本気も本気だな。しかし惜しいな、これからお嬢ちゃんが暇で俺も暇ならどっかで酒でも飲みたい位だぜ。生憎野暮用があってなー」
茅炎白酒飲んで大丈夫、しかもこんなにしっかり立っていて美味い酒もわかるのなら良い飲み比べが出来たのになあという男に苦笑した。
「また今度の機会に楽しみにしてます」
「おう、俺は管飛翔ってんだ」
「私は黄です」
名前を告げた瞬間まさか、なという表情をした飛翔だったがあの、同僚にこんな大きな娘がいた事など知らなかったので違うのだろうと判断した。
そして次に逢った時にちゃんと確かめてなかった事を飛翔は後悔するのだがそれはまた別の話。
五感が冴え渡る気がした。
酒屋のご主人には休んで行くといいと言われたがそろそろ秀麗の紅家邸宅へ向かわなければいけない時刻になりつつあった。
歩いていてふと世界の秩序のようなものを透かし見ている自分に気付く。
多分「彼」はそろそろ貴陽に現れる。
何処に現れるかは不明だが多分、其処だろう。
懐かしさとそして僅かの羨ましさが胸を締め付ける。
徐々に抜ける酒気と共にその想いもまた抜けて霧消していくのだけど。
「浪・・・燕青」
茶州で笑っていた彼はもう直ぐ此処に、現れる。
どうしてとか、理由はわからなかったけれどそれだけははっきりした頭の中で理解していたのだった。