雲に隠れたままの月は未だ姿を現さない
















初めて出会ったあの時となんだか別人のようだなと隣に居る男の子をこっそりと眺めて思う。

場所は貴陽一と名高い妓楼、?娥楼。

建物の外には親分衆の雇っている護衛達と劉輝様・・・主上と藍将軍と静蘭さんが青巾党の破落戸達を千切っては投げを繰り返している。

自身も外での乱闘に参加するつもりだったのだが何故だか絳攸に硬く引き止められて非戦闘組に入っている。

「嫁入り前の娘が顔や身体に傷でも付けたらどうするんだ!?」

「え、でも・・・」

言い返す前に秀麗や影月君からもこくこくと力強く頷かれてしまっての結果である。

正直、勉強以外は身を守る程度の護身術しか黎深様に学ばせて貰っていない絳攸より強いと思うのだが反論してはならない雰囲気に沈黙する。

そして戸惑いつつも彼らと同じように身を潜めた。

「よし、倒れた奴の懐を探るぞ」

絳攸の言葉にそんな泥棒みたいな真似を、と思わなくも無かったが戦闘能力のあまり高くないこの面々にとっては一番効率的ではある。

「火事場泥棒みたいだけど向こうも盗んだり脅し取ったりしているわけだし・・・」

自らに言い聞かせて手近にあった棒を武器として片手に持ち片っ端から探っていく。

「ない。こっちも無し。絳攸は?」

「いいや。全く見当たらない」

ウンザリした表情。

絳攸は官吏になってからというもの気難しい表情が多くなったようにには感じる。

確かに真面目な人であるからという理由もあるだろうがその大半は女性嫌いから始まったように思えるのだ。

「こんなむさ苦しいオジさんより綺麗なお姐さんを脱がしたかったんじゃない?」

「な、何を馬鹿な事を!そんな訳があるかっ」

揶揄いの言葉を即否定されて女嫌いは健在かと苦笑する。

なんで自分は大丈夫なのかなともなんとも絳攸自身が知れば脱力しそうな事思いつつ少女は手を休めない。

暫くそんな楽しくない作業を続けるも喉が渇いて飲み物がないかと見回した。

部屋の隅には大きな甕が置かれていた。

甕に入っていた柄杓に汲み取り中身を舐めてお酒だった事に気付く。

「秀麗の入れてくれたお茶が飲みたい」

ぼやきながら同じ室で黙々と作業を続けている絳攸へ視線を向けた。

その時、視界の端に動いている影を認めた。

それは効率を上げるために部屋の両端に分かれた秀麗達だったのだが。

「危ない!」

青巾党の頭目だろうか大男が秀麗を捕まえていた。

か弱い女と思って人質にしようと企んだのだろう。

慶張と影月は振り払われてそれぞれ壁や酒樽へ叩きつけられた。

けれどその一瞬で絳攸が男の臑を切りつけた。

秀麗を抱えた絳攸を認めたは大男へ走りよって飛び蹴りを食らわせたのだが。

「・・・あ」

隣には小さな人影。

影月、ではない。

猫の目のような釣り上がった顔の男の子はニヤリと笑った。

つり上がった瞳の奥、其処には深い深すぎる何かが隠れているように思えた。

「貴方・・・誰?」

見事な腕前としか言いようが無いそれ。

秀麗を助けた少年はの知らない人物だった。

はっきりとわかる。

身体に纏う覇気が違う。

「この前の安酒よりはまだマシか」

そう言って不敵に髪を無造作にかき上げた。

「俺は陽月だ」

あっという間に頭目を倒した陽月の強さに感嘆しながらも懐から出てきた木簡を拾い始めた。

「え・・・これって」

秀麗が事の重大さに気付いたのか慌てて拾い始めた。

「おい女・・・もう少し周りに気をつけろ」

陽月の言葉が終わる前にの手から棒が飛んで手下の一人を昏倒させていた。

その僅かな間に陽月は数人を叩きのめしていた。

そんな光景を見てしまった武装派三人はあっけに取られていた。

秀麗を下に降ろした陽月がの方を向いた。

「また会ったな。・・・チッ、切れたか」

舌打ちと同時にふらりと傾ぐ身体。

思わず抱きとめれば耳元で囁かれる。

「        」

「え・・・」

聞き間違いかと聞き返しても返ってくるのは穏やかな寝息のみだった。



























無事に札は戻り青巾党は捕まった。

主上としてではなく、紫劉輝自身に親分衆も信頼に値する相手と認めたらしい。

秀麗がお金が勿体無いと影月君を屋敷に誘っていたけれど彼は決して頷かなかった。

やんわりと意思を通す強さ。

最年少で国試への道を切り開いた彼の本質はとても優しくしなやかだ。

そしてその夜は一人『彼』の待つ庭園へと足を運んだ。

























月が雲居に隠れて鈍い光が夜を照らしている。

「来たな、女」

くい、と杯を傾けた少年の瞳はとても鋭く、そして深い。

何年も何十年も、何百年も。

変わらない月の光のように澄んでいて。

深みを増す酒のように奥深い。

「黄です。お酒、好きなんですね」

高価な酒に旅費をつぎ込む程である。

嫌いな訳がない。

「これ、飲んでみませんか?」

小瓶に入れた二つの酒を差し出した。

「ふん。珍しいな」

少年は香りだけで嗅ぎ分けたようである。

一つは向こうで葡萄酒と呼ばれるものを真似て作った酒。

一つは某知人から入手した入手の難しいもの。

「・・・悪くない」

ニッと笑う姿はまるで気まぐれな猫のようだと思う。

手懐ける事の難しい誇り高い生き物。

「あとこれよけいな物かもですけど」

「なんだそれは」

の手の中にあったのは履物。

丁寧に作り込まれている暖かそうなそれは陽月の目の前にどうぞと差し出されていた。

「長旅で痛んでるみたいだったので作ってみました」

作ったと言っても昨日の今日である。

一から作ることは出来なかったが普通の履物に暖かい裏地と滑り止めの底をつけて防水のための革も張ってある。

陽月は僅かに目を張ってそれからを初めて見るかのように凝視していたが最後には諦めたように受け取った。

「・・・と言ったか」

「はい」

真っ直ぐに見つめ返せば視線を逸らされた。

「影月には言うなよ」

何をですかと聞き返すと分からなければいいと言われてしまった。

「陽月君と呼んでも良いですか」

にこりと笑えば不服そうな声。

表情は、見えない。

「お前、俺のほうが全然年上なんだがな」

不貞腐れたような声にまあ、そうですがと返事をする。

「貴方ともお友達になりたいです」

心からの願いを口にして頼めば僅かに陽月の肩が揺れた。

「・・・まあ暇つぶし程度ならな」

月が顔を雲居から覗かせた時、猫のような少年の頬が少しだけ赤かった事を闇だけが知っていた。