揺ら揺らと揺蕩う月の影
水に浮ぶ月は全てを見ていた
「霄様、何か御用ですか?」
他事に関わらず勉強に励むようにと言われていた。
最近は梅饅頭が食べたいとも言われてなかったのに対して先日執務室に勝手に気分転換として作った菓子を送った行為が悪かったのだろうか。
「・・・あの小僧に履物を贈ったと聞いたが」
「凄い情報網ですね」
怒られるのではなかったかとほっとして流石、と感心しているは知らない。
贈っている時もこっそり霄太師が見ていた事と其処此処で彼女が贈った履物を履く影月を内心羨ましく思っている存在が多数存在する事を。
「わしもそろそろ歳でか、あったかい着物や履物が欲しいんじゃがのぅ」
此処で主上、否、劉輝がいれば騙されるなと言ったであろうが居なかった。
宋太博や死んだ茶大保が居たらお前が欲しいのは嫁じゃろうがと突っ込んで貰えたかもしれないのだが。
けれど常ならば鋭い少女も自らに向けられた好意には全くと言っていい程に鈍かった。
「霄様、お風邪でもひかれたのですか?」
の心配そうな表情にあって無きが如しと邵可に思われている霄の良心がちくりと痛んだが目的を得るために手段は選ばない彼は作戦を続行した。
「此処はやはり暖かいものが欲しいのう」
「大変!早くごゆっくりお休みになってください。私、お邪魔でしょうしすぐに辞去させて頂きますから」
「いや・・・そうではなく・・・」
お大事になさってくださいね、と帰ってしまった少女を思い、閉ざされた扉を悲しみに打ちひしがれていついつまでも見ている霄太師の奇妙な姿を見た官吏は
一体どうしたのかと皆不思議そうに首を傾げたのだった。
黄区にある邸宅。
月夜に照らし出された部屋の卓に向かい合い屋敷の主とその客人が座っていた。
「なあ。私とアレにあの子をくれないかい」
一人は艶やかな髪をいつものごとく下ろしたまま仮面だけは外されている。
曝け出された美貌は凍えた月が霞むほどだか兄と姪とそして一部以外はぺんぺん草程も認識してない男には何の価値もないものだ。
その美貌も今は不機嫌さにより普通なら少しはくすむものに思えるがなお一層彼を麗人として際立たせている。
「断る」
一刀両断を絵に書いたような言葉に扇で口元を隠した男は少しだけ瞳を細めた。
「君にだって分かっているはずだよ。紅家は彼女を守る事が出来る。世界からも」
「それはお前にもわからない事だろう」
天つ才を持ちうる黎深と彼女をよく知る鳳珠だからこそ気付いた事。
「第一お前の養い子は未だその自らの位置すら自覚していない」
問題外過ぎる。
豊麗たる声は月明かりよりも冷たく凍り付いている。
「そうだね。では彼女が選ぶまでもう少しだけ待つとしよう」
「ふん。お前には絶対にやらんからな」
卓には暖かいお茶と鳳珠の養い子である少女が作った饅頭が湯気を立てて置いてあった。
鳳珠の視線がその菓子に注がれふわりと優しく和らぐ。
「あれが選ぶなら私は大抵は許すつもりだがお前だけは許すつもりはないからな」
血縁になるなど死んでもごめんだという佳人に黎深は彼らしくなく素直に告げた。
「全く・・・私は彼女が好きなだけだよ」
知っている。
そう忌々しそうに言う友に黎深は楽しげに口元を吊り上げてそっと扇の陰で笑ったのだった。
月光が夜を照らしている。
「君は人間かな?色々混じってるみたいだけど」
屋敷へと続く帰り道、不意に声を掛けられ振り返る。
気配はしなかった。
「貴方、・・・何方かお聞きしても構いませんか?」
そう返すとこれは失礼と謝られた。
銀髪が月に美しく輝く魔性のようなひと。
「私は璃桜という」
彼の服には満月が染め抜かれていた。
美しくそして何処か幻想的な。
「璃桜様ですか。もしかして縹家の方ですか?」
「良く知っているね」
あっさりと答えられてやはりと納得する。
茶州に居た時に聞いた話を。
「私はただの人間のはずです。多分ですが。この世界とは別の世界から迷い込んだだけです」
『気をつけるのじゃぞ。そなたの身も危ないやも知れぬ』
幾歳経ても愛し、愛され、美しくそして強い人が教えてくれた事。
縹家に生まれた異能の女性は少女を見て少し考えた後苦々しそうに、そして心配そうに告げてくれた事。
けれどは逃げる事も忌避する事もしなかった。
「私を断罪なさいますか?」
とうの昔に覚悟など決まっていた。
夢も望みも沢山あるけれどたった一つを選ぶなら。
覚悟と共に真っ直ぐに口を付いて出た言葉は銀色の瞳を僅かに揺らしそして微笑ませることになったのだった。