幸せって何だろうと考える。
私にとっての幸せは大事な人が笑ってくれること。
当たり前のことが難しくてでもできることから始めようとゆっくりと前を向いた。
「おきゃくさま・・・ですか?」
「ああ、はいつも通りで構わない」
お仕事が休みだという義父は寛いだ様子で仮面まで外している。
それは娘である幼子には自らの素顔を晒しても構わないからという事実が根底にあるからで。
侍女をあまり近づけさせない主人の世話に困っていた黄家の者達は彼女の存在を暖かく受け止めた。
なんといっても素直で頭がよくて可愛らしい。
評判になっているのは黄家の中だけではないらしく鳳珠の元へは手紙が一通。
悪友からのお宅訪問伺い状だ。
中身は時間しか書いてないという筆不精ぶりだが彼の兄や姪の自慢を滔々と書かれていても堪らない。
「はい。でもわたしは何をしていればいいのですか?」
お茶を運ぶのは構わない。
いや、やらせて欲しいと頼むくらいなのだが一緒に会うというのは何でだろう。
「私の養女を見たいらしい」
「わ・・わたし、ですか?」
びくんと身体を竦める様子に大丈夫だと声を掛ける。
まだ養女(むすめ)という響きに慣れてないらしい。
「お前は私の娘になっただろう?」
「・・・・でも鳳珠さまはお父さんにはお年が・・・」
どちらかと言えばお兄さんだと思うとの内心は鳳珠の一言によって払拭される。
「私の自慢の娘だと紹介しても構わないだろう?」
「・・・・・・・はい」
自慢の娘。
その響きはこの優しい人の優しい心遣いから来ているのだと知っている。
自分が彼の自慢になるとは思ってもない。
けれどいつかなりたいと思う。
彼の自慢できるような女の子に。
「鳳珠さまはわたしのじまんの父さまです」
向けて貰える心が嬉しくて、父さまの響きが幸せでにっこり笑った娘の笑顔に鳳珠も美しい笑顔を零したのだった。
「鳳珠!おいっ、何処にいる!?」
スパーンっという感じで扉が開けられて鮮やかな紅色の服を着た男の人が立っていた。
「こんにちは、鳳珠さまはそちらのお部屋にいらっしゃいます」
教えてもらったお辞儀をすればその男の人は面白そうな表情をした。
「君が鳳珠の娘になったという子かな?」
「はい、黄といいます」
黄という言葉を言う時は何時だって恥ずかしくて照れくさい。
「私は紅黎深だ。はいい子だな」
「え?」
目をまあるくしてその人を見上げればさっさと隣の部屋に向かっている。
「ああ、絳攸!と私の話が終わるまで遊んで貰えばいい」
何処か悪戯混じりの声によってお客様が黎深一人ではなかったことを知る。
柱の影から自分より少し大きい影が見えた。
「黄です」
ぺこりと頭を下げた。
「・・・・・・李絳攸だ」
むすりとした表情の男の子には暫し戸惑うことになる。
「絳攸さま・・・でいいですか?」
「絳攸でいい。と呼ぶから」
つっけんどんな様子だけどちょっとだけ昔ボールをくれたお兄ちゃんに似ていると思った。
恥ずかしがりやで優しかった男の子に。
「絳攸はなんさい?わたしはこの前に九つになりました」
「ちゃんとした年はわからない」
その言葉にちょっとだけ驚いた。
「俺は・・・・黎深様に拾われたんだ」
「わたしも・・・・同じだね」
びっくりしたみたいな絳攸にはくすくすと笑った。
「わたしも鳳珠さまに拾ってもらってその子どもにしていただいたの。鳳珠さまがわたしのたんじょうびはこの日だって決めてくださって」
「そっか。俺は多分、十三だ」
絳攸の態度が柔らかくなったのはがこの屋敷のお姫様でないとわかったせいか、それとも自分の境遇に似ていたせいか。
は絳攸の手を取って庭へと案内した。
「見せたいものがあるの」
小さな繋がれた手を彼らの保護者が微笑ましく見ていたのは幼い二人には知らないことだったのだけど。
「若者は仲良くなるのが早いな」
楽しげに庭を眺めつつ黎深が呟いた。
「年寄り臭くなるのは勝手だがお前一人で私を巻き込むな!」
胡散臭げに眉宇を顰める姿も絶品だが見るのは免疫ある黎深のみで彼が取り乱すのは彼がこよなく愛する兄と姪のことくらいだ。
「しかし・・・・お前が子供を拾うとは・・・・。どういうつもりだ」
兄と姪以外に自らの心に掛かるもの以外は虫けらのように扱う男の意外な行動は鳳珠にも不思議で仕方ない。
「私の好意を最初に受け取らなかったから気に入ったのかもな」
歪んだ愛情を向けられているらしい少年に鳳珠は心の中で強く生きろと声援を送ったのだった。
「で、見せたいものってなんだ?」
手は振り払われることなく繋がれていて優しく掛けられる言葉が嬉しい。
「絳攸のね、お名前の李ってすもものことでしょう?」
「ああ」
ちくんと絳攸の胸の奥にささる棘。
それが大きくなるのはこの十数年後のことになる。
「あのね、鳳珠さまに李の実を取ってもいいってこの前お許しをいただいたの」
あの木、と指差した先には大きな李の木。
その木が誰から贈られたかなんて彼ら二人は知らない。
「立派だな」
たわわに実った果実の重みで枝がしなってしまうほど。
「うん!李の木って実も木も使える凄い木なんだって!」
庭を案内された時に聞いた言葉をそのままに伝えた。
「ねえ、いっしょに取ろう?」
「いいぞ」
それから一時、庭には使用人も含めて楽しい時間が過ぎたのだった。
「鳳珠さま、絳攸と李の実を取ってきました」
皿にきちんと並べて載せられているのは一番美味しそうなものばかりで絳攸と黎深にもと思って選り分けたものだ。
「怪我はしなかったか?」
「はい」
仮面をつけた鳳珠の表情はきっと柔らかいものだと悟らせるような優しい気遣いに嬉しくて笑顔で返事をした。
「私も食べていいかな?」
「黎深様のはこちらです」
お土産の分も戴いてますという絳攸は何処かつっけんどんの最初の男の子に戻った様子でああ、黎深様の前で緊張しているのかとようやく悟る。
「沢山あるので食べてください」
どうぞと一緒に布巾も差し出せばまじまじと見つめられた、黎深様に。
「なあ、絳攸」
「はい」
にやりと笑うこんなときの黎深に碌な事はないと知っている鳳珠は嫌な表情をしてまだそんな余裕のない絳攸は素直に返事をした。
「を嫁に貰ったらどうだ?」
こんな娘が欲しいぞという黎深の言葉に真っ赤になって慌てる絳攸と些か仮面までも怒っているように見えるオーラを醸しだす鳳珠。
「・・・・・まだ嫁には出さんぞ」
血迷ったとしか思えない台詞を吐いてしまった事に数日間自己嫌悪している義父の姿と幸せいっぱいの娘の姿があったのだった。