あの日与えてもらったのは凍えない部屋、雨の凌げる屋根、でもどれよりも暖かいのは彼の優しさ。
いい天気だった。
からりと晴れた空は何処までも青く、雲の白さに夏の近さを感じさせる。
桜が散って新緑の芽ぶきを感じる季節。
先日にしとしと降った雨のせいか植物の緑も生き生きとしていて美しい。
「・・・どうしよう」
困ったなと首を傾げている少女が、いた。
まだ幼い顔には知性の欠片が見え、瞳には思慮深さを感じさせる。
「どうしました?」
家人が尋ねてもなんでもないと笑いその後また悩み始める様子に仕方ないと主に報告したのだった。
「何か困ったことでもあるのか?」
日課になった平日の夜の勉強は彼、黄鳳珠の帰りが早かったことからいつもより早く終わった。
書物を眺めていて読みたいのかと聞かれ頷いてしまったは彼から直に読み書きを教わることとなった。
教える鳳珠が上手いのか教わるが聡いのか定かではないが多分その両方なのだろう。
簡単な書物ならば一人で読みことができるほど上達していた。
美しい声に心配そうに尋ねられてはぼうっとしてしまうが直ぐに我に返りふるふると首を振った。
困ったことなどない。
皆、親切で申し訳ないくらいだ。
あったとしても言わなかっただろうが本当に思い浮かばなかった。
「なんでも昼に様子が変だったと聞いたが」
その言葉になんの事か悟る。
「なんでもないのです。その・・・ごめ・・」
「いいから言ってみなさい」
謝罪を遮り言われて暫くもごもごと口篭っていたが意を決する。
目の前の人に心配は掛けたくないし嘘もつけない。
何より大事な人だから。
「その、父の日があるときいたのです」
はぽつりと口にした。
それは買い物へ行くという家人に連れて行ってもらった商店で聞いたのだが。
「ああ、明日をそういうふうに呼んでいるな」
暦を思い出しつつ告げた。
「その・・・あの・・・わたしには鳳珠さまが・・・父さまだからとおもったのですが・・・ちがっていたら・・はずかしいし」
要約するなら父親と思っているが鳳珠自身はそう思っていないと勘違いでみっともないので祝うべきか迷った、である。
もじもじと俯いていたのだが反応がない。
「あの・・・鳳珠さま?」
顔を上げれば其処には顔を薄く染めた鳳珠の姿。
「・・・もう一度言って貰えるか?」
「は?・・・・えっと・・・・鳳珠・・・父さま」
頭の回転が悪くない少女は直ぐに求められているものを口にした。
恥ずかしそうに。
そして言われた鳳珠はにっこりと微笑んだ。
「いい子だ」
多分その微笑みは天女よりも美しいと思われるほどの綺麗さだった。
どんな老若男女問わず魅了するような笑顔。
「・・・大好きです」
そっと囁かれた言葉と腕の中の小さな温もりに私もだと鳳珠は小さな娘の頭を撫でてやった。
「鳳珠ときたら当時、相当嬉しかったようで『娘とはイイものだな、ふ、ふふふふふ』と笑っていたらしい」
「鳳珠様がですか?」
外朝でバイト中に昔話に花が咲く。
休憩にしましょうとお茶の準備をしていたらふらりと訪れた黎深は暦を見て思い出したかのように笑ったことが発端だ。
「奇人がますます壊れたという話が広がって一月くらいは持ちきりだったな」
楽しかったよと笑う姿に信じられないし想像がつかないと思う。
そしてそんなに喜んで貰えていたのかと思うと嬉しくて仕方ない。
「今年の父の日はどうするんだい?」
「今年ですか?そうですねえ・・・」
暦を見ればあと数日でその日、となる。
内緒ですと笑う娘と悪友の姿を見つけて鳳珠の形の良い眉が顰められた。
「黎深、お前。仕事をしないと部下が泣きそうだったぞ」
「あ、じゃあ絳攸にも持っていって上げて下さい」
素早く包まれたお饅頭と出て行けと睨んでいる視線に仕方ないなと苦笑する。
自分も多分、邵可兄上と二人きりの時間は邪魔されたくはないから。
「、いつか私の娘になったら父の日を祝ってくれると嬉しいな」
「誰がお前をの義父と認めるか」
鳳珠のばっさりと切って捨てた言葉を笑い飛ばし、ではねと去っていく後姿に首を傾げるはちっともわかっていなかった。
お父様は鳳珠様一人なのになんでだろうなどと考えている。
「茶を貰えるか?」
そんな思考もあっさりと鳳珠の一言で遥か彼方だ。
「お仕事ご苦労様です、父様」
にっこり笑う娘の姿に機嫌を直した鳳珠は娘の入れたお茶を味わうべくゆっくりと仮面を外したのだった。